こんなにも、いそがない企画42005/10/22 12:26

「誰もいそがない町」という本が発売されるにあたって、ここに至る、長くて、あまりにもいそがない物語を書きおこしている。

(続き)
番組を降りると、手元に原稿の束が残った。すべて手書きで、一話はペラ(200字詰原稿用紙)12、3枚。これが150本ある。なんだか、自分の元へ戻ってきた子供という感じだ。読み返してみると、出来のいい子供もいれば、ここをこう直せばよくなるのにという子供もいる。出来の悪いのもいる。出来の悪い子もそれなりに可愛い、というのは実際と同じなんだろう。全体的に、かなりいい作品が多かった(自分で書いたのだから、当然そう思うのだが)。
そこで、
「これを書き直して、一冊の本にできないだろうか」
と思ったのだ。
なにしろ全部で150本もある。その中から数十本を選ぶだけで、本一冊にはなるだろう。

サンプルに、手書き原稿をワープロ打ちしてみる。
放送原稿と本のための原稿は違う。細かい加筆や訂正が必要で、手間のかかる作業だった。けれど、その手間が楽しい。
まだ出版のあてがないので、自分の好みだけを考えればいいのだ。これは面白かった。ぼくにはファンジンの経験はないが、たぶんこういうことなんだろうなと思った。なんというのだろう、一個一個手作りで、自分のためだけに宝石を研磨していくような作業。

こうして何本かをワープロ打ちして、知り合いの編集者に見せてみた。
最初に原稿を書いてから、5年近くがたっていた。
「あのぅ…ええと…、これ、今までの藤井青銅のイメージとは違うんだけど、こういうのも、どうかな、と思って…」
この手の原稿を、目の前で人に読まれるのは、とても恥ずかしい。「笑い」の原稿なら自信を持って見せられる。けれど、心温まるものとか美しい話は、恥ずかしくてしょうがないのだ。純愛ものの作家さんは、よく編集者に見せられるなぁ。

さて、編集者は原稿を読んで、どう反応したか?
(続く)

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